2011年4月26日火曜日

避難所支援の活動報告

HARU本部のEです。現在山元町でのボランティア活動に参加しています。

今回は、これまでの活動期間で自分が主に参加してきた避難所でのボランティア活動についてご紹介します。

自分達は町内のある避難所で、避難所運営のお手伝い(支援物資の整理、仮設トイレの移動など)、避難者の方達へのヒアリング、子供達との交流、そして避難所になっている小学校のお手伝い(清掃、机の移動、学習補助など)などを行ってきました。

まずは避難所の生活をご紹介します。
避難所の一日は朝のラジオ体操から始まります。ラジオ体操の後、避難所スタッフの方達からその日のイベントや食事の説明があります。その後避難者の方達は仕事や家の片づけなどへ向かいます。また、避難所に残っている方達もトイレの水くみや夕食の支度などの作業を分担して行います。

この避難所では避難者の方達のために様々なイベントが開かれています。先週は音楽家の方達が小さなコンサートを開いて下さいました。また、小学校のOBの野球選手の方がいらしたこともあるそうです。他にもラーメン屋さんなどが不定期で炊き出しを行ってくれています。

また、避難されている方達から様々なお話を伺いました。津波から逃げた時のこと、行方が分からなくなっていたご友人と再会した時のこと、辛い思い出、喜び、様々なお話を聞かせて頂きました。テレビや新聞では伝わることのない思いを直に聞き、非常に色々な事を考えさせられました。また、新鮮な野菜が食べたいというお話しを伺い、野菜支援部を通して実際に野菜を支援することができました。

避難所や近隣の子供達はとても元気に見えます。しかし話を聞いていると、何度も津波の夢を見るという子がいました。表に出したりしませんが、彼らも辛い思いをしています。
ここで実動部のリーダーの言葉をお借りします。

「この町の将来を担う彼らにこの町を愛して欲しい。いつかこの震災直後の時期を思い返す時のため、暗い思い出ばかりでなく、明るい楽しい思い出を残してあげたい。」

自分達に今できることは、彼らに今を楽しませてあげることです。そのために、一緒に遊んだり、勉強したり、学校の掃除をしたり、様々な事をしてきました。
彼らといっしょにやった遊びをご紹介します。
僕は今回初めてDSに触れました。太鼓の達人をやってみましたが、ボロボロにやられました。もうちょっと練習してからリベンジしようと思います。屋外ではけいどろとドッジボールをひたすらやりました。かなり疲れます。3キロほど痩せました。しかし、彼らの楽しそうな顔を見ると僕達も楽しくなり、力をもらえます。そしてまた、警察から逃げるために走り出せました。避難者の方の中にも、子供たちの元気な姿を見る気持ちが少し楽になるとおっしゃっている方がいました。


彼らはそこらの小学生とは比べ物にならないような経験をしてきています。おそらく他の人たちとは違ったものの見方、考え方、感じ方をすることのできる大人になるでしょう。そんな彼らなら大きく立派に成長し、自分たちの手でこの町を復興していってくれるだろうと自分は思います。

山元町がメディアで取り上げられることは滅多にありません。しかし、その被害状況はとても深刻なものです。
非常に多くの方々がお亡くなりになり、現在も多くの方々の行方が分かっていません。
特産品であったイチゴの農家も津波によって壊滅的な被害を受けました。田畑も海水が入ってしまい、再び使用するためには長い年月と労力が必要です。
自分が避難所で何度かお話をさせて頂いた方は、「またこの土地に住もうとは思えない」と言い残し、町を去って行きました。また、甚大な被害、人員の不足などの原因により、必死の復旧活動にも関わらず、山元町は未だ復興のスタートラインにすら立つことができていません。

そんな中、町内の小学校では昨日から新学期が始まりました。今日は入学式が行われます。学校の中に避難所があるこの小学校では、先の見えない生活の中で、この子供達の新たなスタートが避難者の方達にとっても明るい兆しとなっています。


山元町に子供たちの笑顔があふれ、活気が戻ってくる日がいつかやって来ることを願っています。



みんな!
進級、入学おめでとう!



0 件のコメント:

コメントを投稿

東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。