2011年5月29日日曜日

写真洗浄ボランティア―被災地の思い出を守る―

 HARUでは現在、津波によって流されるなどして汚れてしまった写真の洗浄作業を行っています。自衛隊の方々に持ち主の分からないアルバムなどを提供していただき、その写真についた泥を洗い落として乾かし、保存して最終的に地元の皆さんの元へ写真を戻すことを目標に作業を行っています。写真の枚数はおよそ12万枚に上り、作業を完遂するのにはかなりの期間を要しますが、今HARUとして出来ることをしようという思いで、1枚1枚丁寧かつ迅速に洗浄できるよう努めています。


 写真洗浄の流れに関して説明します。写真の中には、津波に流されたことで、劣化が激しくインクが剥がれていたり、剥がれかかっていたりものが多くあります。よって、下手に泥を落としてしまうとインクも一緒に剥がれてしまい、余計写真を傷つけてしまいます。しかし、だからといって泥をそのままにしておくと、バクテリアが繁殖してやがて写真は消えてしまいます。こうした状況の下で、指先で繊細に、慎重に泥を落としていっている、というのが現状です。洗い終わった写真は、洗濯バサミにはさんで乾燥させた後、新しいアルバムに入れて保存しています。また、アルバムに関しては、付着した泥を1ページずつ掃いていっています。さらに、私たちの作業とは別ですが、カメラマンの方々が、写真の複写作業を行っています。いくら写真を洗ったところで、バクテリアは完全に除去できずやがて写真は風化していってしまいます。そこで、洗った状態の写真を複写して保存していこうとしているのです。


 経済学部2年の参加者は、「初めは泥だらけでほとんど何も見えなかった写真からきれいに泥が落とされていくと、やりがいを感じる。作業を終えて帰りがけのころに、写真を取りに来たご夫婦が、写真を見て非常に嬉しそうな表情をされていて、本当にやって良かったと思った」と写真洗浄に参加した感想を語ってくれました。

 また工学部3年の参加者は「写真のような記録は未来まで残せる記録を守ることは先のことまで考えると大切なことだと思います。裏に日付や場所などの文字が書いてある写真は裏もきれいにするようにしてきました。そういう思い出もできるだけ守れればと思っています。一度洗浄しているところに来た現地の人が自分の姿が映っている写真を見つけたことがありました。その写真はその人の友達のものだったようで写真を届けてくださいました。洗っているすべての写真が無事に持ち主のところに返すことができるようにこれからもがんばっていこう、そう思える出来事でした。お盆までにはすべての写真の洗浄を終わらせなければいけないと聞いています。これからも続けていきます。」と語ってくれました。



 写真洗浄を通して、少しでも現地の皆さんに思い出を届け、復興の一助となれば、と考えております。HARUでは今後も継続して写真洗浄のボランティアを行っていきます。これまでは山元町での作業となっていましたが、今後は片平に場所を変え活動を継続します。多くの方に協力をいただき、1枚でも多くの写真を被災者の手に返すことができるよう努めていきます。

2011年5月21日土曜日

附属図書館の復旧続く

広報部の目黒志帆美です。
新入生を迎えた川内キャンパスは、若葉と青空の
コントラストが美しい季節を迎えています。

授業が再開して2週間。
HARUのメンバーも、学業とボランティアの両立を目指し、
復興に向けて自分ができることを模索しています。

今週もHARUのメンバーによる図書館の復旧作業が行われました。


5月18日(水)は附属図書館本館の書庫地下一階で
HARUのメンバー約10人が作業をしました。
本館地下1、2階の書庫には古典資料や大型本など
約90万冊の蔵書があります。
職員の方々による懸命の復旧作業によって、床に散乱した本の大部分は
書架に収められました。書庫の利用はすでに可能となっています。
この日は、余震に備え、本を書架にひもでくくりつける作業が行われました。

 この活動に参加した経済学部2年の男子学生は、授業が再開するまで
しばらくは山形県米沢市にある実家で過ごしていたといいます。
米沢市では、福島原発の避難区域から避難してきた人たちを支援する
ボランティア活動をしてきたとのこと。授業再開にともない戻ってきたが、
「勉強していても落ち着かない。大学でも、自分が何かの役に立てるなら
と思って参加している」と話していました。

法学研究科博士前期課程1年の男子学生は、「京都大学の友人が
宮城県の被災地でボランティアをしていて刺激を受けた」と
HARUの活動に参加するきっかけを語ってくれました。

工学研究科博士後期課程1年の男子学生は、この春、
博士後期課程進学のため、震災直後に新潟市から仙台市へと
引っ越してきました。「震災を伝えるニュースを見ていたら
自然と足が動いていた」とこの活動に参加したときの気持ちを
話してくれました。

いずれのメンバーも、ひもで本をくくる手を休めず、一言一言、
かみしめるように語ってくれたことが印象に残りました。

こうしたHARUのメンバーによる図書館の復旧活動に、
図書館の職員の方からは感謝の言葉をいただきました。

震災で図書館職員の方々が最も心を痛めていたのは
貴重図書の被災についてでした。
図書館本館の2号館には、貴重書庫という部屋があります。
数百年前に書かれた世界的に貴重な資料や、
夏目漱石直筆の書簡、初版本などが厳重に保管されています。




この部屋では、地震に強い構造の書架を使用するなどして、
貴重な書籍を厳重に管理する体制が整えられていました。
にも関わらず、この部屋の一部の書籍は、転落防止バーを飛び越えて
床に散乱してしまったそうです。
3.11の約3分間にわたった揺れのすさまじさを物語っています。


貴重図書は今後、職員や専門業者の手によって修復されますが、
被災額は相当額にのぼるとみられます。

ある図書館職員の方は「被災した貴重図書のことを考えると、
涙が出てきます」と肩を落としていました。

HARUメンバーによる図書館復旧のお手伝いは
来週以降も続けたいと思っています。

2011年5月17日火曜日

「HARUの集い♪」―震災から2カ月 復興に向け結束―

514()、東北大学の片平キャンパスさくらホールで
HARUの集い♪」が開かれました。
参加者はHARUに参加している学生、
活動にご協力いただいている学内の先生方などです。
ボランティアの活動報告や歓談を通して、
今後の活動に向けた決意を新たにする機会となりました。

大学の講義も始まったことでHARUの活動は節目を迎えています。
HARUに登録している学生は1000人を超え、約50もの
プロジェクトを実行してきました。
規模が大きくなったため活動すべてを把握している人は
本部メンバーも含めほとんどいません。

復興に貢献したいと思っていても、同じプロジェクトに
参加するメンバー以外は会う機会もないため、
交流する機会はこれまでほとんどありませんでした。

そこで企画されたのがこの「HARUの集い♪」です。

19時から始まった集いでは、まずHARUリーダーの鈴木杏奈さんが
このイベントの趣旨を説明、参加者の活動をねぎらう場面もありました。

次に顧問の吉岡敏明教授(環境科学研究科)が
HARU設立の経緯を説明されました。
そして「これからも地域に根差した活動を続け、
肩に力が入りすぎないようにがんばってください」
とおっしゃいました。

ご多忙のため参加できなくなった井上明久総長の
代理として出席された東谷篤志総長特別補佐からは
「大学本部もHARUの活動には感謝している。
いろいろなところからお褒めの言葉も貰っている。
これからもがんばってほしい」とのお言葉をいただきました。
そして乾杯の音頭をとっていただきました。
   

歓談の時間になると、参加者は自由に動き回りながら
多くの人と歓談していました。
意見交換をしている姿も多く見られました。



               

これまでにHARUが行ってきた活動について、
各プロジェクトの参加者からの報告もありました。
参加者の中には飲食を忘れて発表に聞き入る姿もみられました。




                                   

集いは19時から20時半までの1時間半にわたって行われ、
顧問の村松淳司教授(多元物質科学研究所)による一本締めで閉会しました。


参加した文学部の3年生は「今までHARUのボランティアに
参加できなかったが今日は来てよかった。
活動について知ることもでき、思いを同じくする人たちと
話す機会もあった」と話していました。
この日は、参加した人たちにとって有意義な会になったようでした。
                              (広報部 久保木達朗)

2011年5月12日木曜日

リクサポ合同説明会in仙台のご案内

リクサポとは、東北就活生へ平等な機会を提供するために、

東北就活生に特別の選考フローの設置依頼や、

SkypeやUSTREAMを使った採用フローの導入を提案しているプロジェクトです。
リクサポについて詳しくはこちらのリンクをご覧ください。

<就職相談会in仙台>
日時:6月11日(土)13:00~19:00
会場:仙台国際センター
〒980-0856 仙台市青葉区青葉山無番地
中会議室 しらかし
地図:http://www.sira.or.jp/icenter/access_station.html
対象:2012就活生、2011卒生
定員:100名
服装:私服で構いません。

■開催時間について
開催は13:00からですが、参加時間は自由です。
■当日の内容
・説明会参加企業によるスピーチ
・就職相談会
・希望される会社への選考会
・東北就活生同士、参加企業人事との懇親会

■参加方法
以下どちらかの方法によりエントリーください
1.下記ページ上のフォームでの入力
 http://bit.ly/mcAHZU
2. 下記アドレスへの連絡
rikusapo@gmail.com 宛てに、
件名を「合同説明会参加希望」とし、
お名前、大学名、学部学科、学年、連絡先(携帯番号、メールアドレス)をご記入の上
ご連絡ください。
■お問い合わせ
rikusapo@gmail.com

2011年5月11日水曜日

一歩前へ、新生活スタート 山元町で仮設住宅入居を支援

広報部のY.F.です。前回に引き続き、宮城県山元町での支援活動について報告します。
今回は51日に行った仮設住宅入居の支援についてです。

 山元町に仮設住宅が完成し、この日78世帯が入居することになりました。
この日HARUがあたった活動は、仮設住宅に設置される家電の
梱包を外して搬入したり、出たごみを分別し処理することでした。
家電には、冷蔵庫・洗濯機・炊飯ジャー・電気ポット・電子レンジ・
テレビなどがありました。重いものも多く、男性が搬入、
女性は梱包を外すという分担で作業を進めました。

 地元職員と自衛隊との懸命の共同作業の結果、仮設住宅への搬入は
午前中には終わり、午後からの入居に間に合いました。
自衛隊の方々の機敏な行動には感銘を受けました。

 午後から入居者の方が住宅に入ると、私たちは各々のお宅をまわり、
荷物を運んだり、引越に伴って出たごみを処分するお手伝いをしました。
部屋の中には避難所で支給されたとみられるカップラーメンや
衣類などの救援物資がありました。

 ある入居者の方は「狭いし、前の家みたいにはいかないけど、それでも
家は家だからね。避難所にいるより心が休まるし、これを一段落だと思って
頑張っていかなきゃね」とおっしゃっていました。

 子どものいるご家族も多かったようで、子どもたちが元気に自転車を
乗り回しながら仮設住宅の周りではしゃいでいる姿が印象的でした。
子ども同士、親同士で知り合いの方々も多かったようです。仮設住宅の前で
何人かで集まり「あなたはどこの番号の家に入居したの」などと
会話する姿も見られました。

 また、テレビがきちんと映るようにアンテナや設定を調整する必要が
ありました。その作業をしたHARUのメンバーは、「男の子がテレビの
チャンネルを替えて色々な番組をみながら嬉しそうにしていた。
喜んでくれているようで自分も嬉しくなった」と話していました。


 入居した方々の中には、ほっとした表情を浮かべている方、自衛隊や
救援物資を送ってくれた全国の方々に対して感謝の気持ちを口にする方がいました。
そのような言葉と表情から、前向きに進む元気をもらいました。

 しかし、これで全てが解決するわけではありません。
入居を希望しているけれど今回は入れなかった、という方もいらっしゃいます。
さきの入居した方も言われていたように、これをひとつの前進とみて、
少しずつ復興に向かっていくことが出来れば良いな、と思っています。

2011年5月8日日曜日

復興への熱い思い受け止める ―山元町ボランティアセンターでの受付業務―


広報部のY.F.です。私は、約3週間にわたって宮城県の山元町で
支援活動をしています。
今日は、同町のボランティアセンターで活動希望者を受け付ける
作業などの様子を報告したいと思います。


ボランティアセンターは、山元町の社会福祉協議会が
設置しました。同町の復興支援活動の拠点です。
社会福祉協議会事務所の前に設置されたテントが、センターの所在地です。
ここでは、ボランティア活動を行う人や団体の受付、
ボランティア支援を求める町民の窓口としての役割を果たすほか、
家屋などの消毒に使う消石灰や消毒液の配布もしています。





支援を求める町民の中には、ご家族やご親族を亡くされた方も
多くいらっしゃいます。私が応対した方々の中にも、
お父さんを亡くされて独り身になった方がいました。
泣き腫らしたような赤い目で、茫然自失としている姿を見て心が痛みました。
こうした方々のニーズにこたえ、山元町で
ボランティア活動を行いたいという人は、
まずこのボランティアセンターで受付をして仕事を割り振られます。
汚れても差し支えない服に着替えたり、道具を準備したりします。
活動を始める前に「山元町」と書かれたビブス(ゼッケン)と腕章を受け取り、
それを身につけて活動します。
ビブスの番号はボランティアセンターで登録され、
活動が終了した時に怪我などがなかったか確認できるようになっています。
ボランティアに任される仕事には、物資仕分けや個人宅の清掃、
農園整備の手伝いなどがあります。

「りんごラジオ」という山元町周辺のみで聴くことができるFM放送があります。
ボランティアセンターの受付業務をしていると、受付に置かれたラジオから、
この放送をよく耳にします。
この放送では、1日に何度も安否不明者の読み上げをし、
「情報をお持ちの方はお申し出ください」と呼びかけています。
沿岸では行方不明者の捜索が続いている状況で、そのような区域は
自動車などでの立ち入りが規制されている「立入禁止区域」に設定されています。

役場の中に足を踏み入れると、まず「安否情報確認」「死亡届提出」
「避難者名簿」「二次避難先届出」といった文字が目に入ります。
こうした状況を目の当たりにすると、
まだ復興といえる段階にはないことを痛切に感じます。


受付業務を行っていると、様々な方々と接するため、
複雑な気持ちになることもあります。
支援物資は、仕分け作業が発生したり被災地側が混乱することから、
基本的に個人からの支援物資は受け付けていないにも関わらず、
「感謝しないんだったら返せ」と発言し、持ってきた物資を
全て持ち帰ってしまったボランティアもいました。
善意の気持ちはありがたいものですが、ボランティア活動を行う以上、
被災地の状況を考えて行動しなければ、かえって迷惑をかけてしまうこと
を改めて感じました。
また、被災者とボランティア間のトラブルを目にすることもありました。


被災地の現状は複雑な心境にさせるものではありますが、
全国各地からやって来るボランティアが数多くいて、東北の復興への
熱い気持ちを感じることが出来ました。
大型連休中、山元町に来られる一般ボランティアの方の数も格段に増えました。
今まで1日約40人だったボランティアの数が、連休に入ってから
一気に160~200人ほどに増えたようです。
職員の方も割り振りが難しいと話すほどでした。
茨城、埼玉などの関東地方に加え、大阪、兵庫、広島など
西日本から来られている方も見られました。
中にはイスラエルから来たという方までいました。
驚くと同時に、「世界中に『何か力になりたい』と思っている人々がいるんだ」
と心強く思いました。
私は四国出身ですが、以前個人宅のボランティアに行った時にそれを伝えると、
「四国から東北までわざわざ進学してきて、ここ山元町にも
手伝いに来てくれる人がいるという、それだけでも支えになる、
東北は大丈夫だと思える」というお言葉をいただいたことがあり、励みになりました。
ボランティアの仕事というものは、ただ労働力として、物理的なものを
提供することだけではないと感じています。
被災地で活動することで「私たちはきちんと見ています」「共に在りたいと思っています」
という気持ちを被災された方々に直接伝えることで、
精神的なつながりも持つことができるのかもしれません。



2011年5月5日木曜日

青空市場に「笑顔」届ける

広報部のS. A.です。私は4月30日、宮城県気仙沼市で開かれた青空市場のボランティアに参加しました。市場での活動について報告します。青空市場は津波で甚大な被害を受けた気仙沼で衣料品を無料配布するイベントでした。配布する衣料品は全国の大学から送っていただいたものです。

午前6時、環境科学研究科の浅沼准教授と一緒に2tトラックで仙台を出発しました。気仙沼までは、利府を経由し東部道路、三陸道を通りました。道路には震災の爪痕が大きく残っており、車体は大きく上下に揺れます。


 当日の青空市場はコンビニの駐車場の一角を借りて開かれました。フリーマーケットのようにブルーシートを広げ、その上に衣服を並べた即席の市場です。8時過ぎにコンビニに到着、トラックから荷を下ろし、準備を始めました。すると、すぐに人がちらほらと集まってきてくれました。そして、8時半すぎ、準備が終わったころには多くの人々で市場は賑わっていました。また、大人だけでなく、子どももたくさん来ていて、子ども用に用意した学用品を親御さんと一緒に選んでいる姿はとくに印象的でした。


青空市場に来ていた人たちに話を伺ってみると、ある女性は「津波で会社が流されたため解雇された。現在求職中で子どもを3人育てているため本当に助かる」と話してくれました。少しでも力になれたことは大変嬉しかったですし、ひたむきに頑張って生きようとしている女性の姿に心打たれました。衣服以外にどんなものが必要かと尋ねると、女性は第一に食料品をあげました。日用品、また今回はあまりなかった夏物の衣料も欲しいとのことでした。また、別の男性も食料品の不足を嘆いていました。国政では“復興の段階”についての議論が声高となっていますが、被災地では、食料品や日用品の不足といった状況が続いています。いまだ“復旧中の状態”なのだと改めて感じさせられました。

また、その男性は「このような市場が開かれるといった情報を知ることがなかなかできない。開催される場合には前もって情報が欲しい」と話していました。実際、さきの女性も、うわさを又聞きして足を運んだそうです。口コミが主な情報源となっているようでした。


開始から1時間ほどで物資の半分程度がなくなり、2時間を過ぎた頃にはほとんどなくなるほどの大盛況でした。途中、全国各地から訪れたボランティアの皆さんが私に話かけてくれました。その話からは多くの方が東北に対して「熱い思い」を持っていることが分かり、心強く感じました。


「ありがとうございます。ありがとうございます」。何度も何度も頭を深く下げ、お礼を言ってくださったお年寄りの女性がいらっしゃいました。この女性は、震災のあった日、着の身着のまま家を出てきたとのことでした。家は津波に流され、この日身につけていた衣服ももらいものだと話していました。今回の青空市場はそのような人たちに対して、少しでも力になれたのではないかと思います。そして、復興というより、その前段階の復旧に向けた支援を期待する被災者の声を直に聞き、現実の厳しさを実感しました。その一方で、服を体に当て、似合うかどうか確かめる方たちの笑顔を見ていると、微力ながらも私たちが笑顔になってくれるためのお手伝いをできているように感じ、嬉しくなりました。

東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。