2013年5月31日金曜日

5月25日 石巻自習室 都道府県&将棋

こんにちは。HARU教育支援プロジェクトの渡辺です。

5/25(土)に行った、石巻大橋仮設住宅での自習支援の報告をいたします。


この日来てくれたのは幼稚園児から小学校中学年まで、中には兄妹で来てくれた子どももいて、
楽しい時間でした。


小さい子には大学生がペーパークラフトや切り紙の作り方を指導。この日は地球のペーパークラフトを実践してみました。







小学校中学年の子は学校の宿題として出された、都道府県の地図を持ってきてくれました。東北地方はもう完璧に覚えられたようです。さすが!



その後は将棋で大学生と対局。付属してた表を見たり、対局相手に教わりながら駒の動かし方を一生懸命覚えていたのが印象的でした。

時間がなくて対局は途中で終わってしまいましたが、次は最後までやりたいですね!

2013年5月30日木曜日

【連載コラム】井上×小野寺対談 「今後の展望」


 

②今後の展望

小野寺:4年生から卒業までの間と、卒業後はどんなことをしたいと考えているか?

井上:大学院に行こうと思っている。活動は出来る範囲で続けるし、もう抜けられないんだろうなと、心を決めている。もはや半澤農園と僕はボランティアの関係じゃなくなっているし、親戚の家に遊びに行くような感じ。卒業してもふらっと行くと思う。みんなにもそのような関わりが生まれてくると良いと思う。半澤農園は今年新しいハウスが建ち、震災前の規模になるだろう。そこで経営も成り立っていくだろうけど、いちごプロジェクトがそこで終わると思うと何かさびしいなと思っている。最初は東日本大震災というのがあって活動していたけど、スーパーに行っていちごがあっても作っている人が分からないし、どんな過程をへてパックされた状態になるのかって普通の人は分からない。それが分かるようになると、食べ物のありがたみがわかるのではないか。

小野寺:作った人が分かるようにしたい?

井上:いちごに限らず、農作物に対する考え方が僕の中で変わったような気がした。でもそういうことは本や授業で「農業が大事である」と教えられるのではなくて、一回フィールドワークで体験してみると一番分かるのではないか。そのような体験場所になってもよいのではないか。

 

2013年5月29日水曜日

【連載コラム】井上×小野寺対談 「2012年の活動」


・代表になる

井上:20124月から僕が代表になった。

小野寺:それは選ばれて代表になったのか、立候補したのか?

井上:どっちも半々くらい。

小野寺:やりたいと思ってやったのか、頼まれてやったのか?

井上:こういう立場は好きだった。人前で話すことも嫌いではなかった。当時のHARUは半期ごとに人事が代わるシステムで、半年で代表も代わるのかなというイメージだったから気楽に考えていた。なんだかんだで1年やった。(省略)5月は教育支援の活動拠点が石巻大橋仮設住宅に決まり、まともになってきた。この間も個人的に継続して半澤農園に行っていた。

 

・半澤農園へインターンシップ

井上:20127月から、半澤農園にインターンシップで入った。それまではボランティアだったが、経済学部でインターンで単位が取れるというのがあったから。やっていることは自分なりには変わった。今まではボランティアとして農園に行った立場から、ボランティアを集める立場になった。当時は外部向けにボランティアがあるということが一般の人は分からなかったり、なかなかボランティアが見つけにくい状況だった。震災直後はがれき撤去行けばいいとか、住居の片づけやればいいとか内容が分かりやすかった。しかし震災から時間がたって、いわゆる「復興の踊り場」じゃないけど、その時から踊り場に近い状態に入っていたと思う。僕はそれを問題だと思っている。ボランティアをやりたい人が周りにいる中で、僕が「ここでボランティアが出来るよ」という情報を発信して来てもらうということを、去年の夏からずっとやっていた。それが主なインターンシップの仕事だった。それによって広島、大阪、東京などからボランティアが来てくれて、コーディネートをした。

小野寺:情報発信というのは具体的にどんなことをしたか?

井上:社会人のボランティアの人とつながりがあったから、その人にある程度協力してもらって、半澤農園のブログを作った。あとは個人的なつながりがボランティアを通して出来ていたので、その人たちに声をかけていき、人が人を呼んで意外と来てもらった(学生を中心に)。農園を3人(とくひろさん、お父さん、お母さん)でまわしていくのは大変なので、夏場のボランティアはありがたかった。

小野寺:2012年の7月は農園でどんな作業をしていたか?

井上:苗を植えて、いらない葉っぱを切ったり、ランナー切りなど。

小野寺:出荷はいつから?

井上:だいぶ先で、12月。震災の年にはもうできていた。夏は第2期になるときの、新しい苗の管理・準備をやっていた。その時に東北大の人たちが来てくれた。何が大変かというと、苗の移動。

小野寺:インターンシップの期間は?

井上:4ヶ月やった。週に1回だが、7,8月はけっこう行った。時間数は110時間くらいで、一日8時間。

小野寺:半澤農園の方と仲が良くなっていったのはインターンシップを通してから?

井上:もっと前から。農園にボランティアで入ったときからわりと受け入れてもらっていたから、僕が人を集めることに対しては抵抗がなかった。家族みたいな雰囲気でやっていた。

小野寺:農家に一ボランティアとして入って、誰でも仲良くなれるものではないと思うが、なぜ仲良くなれたのか?それは定期的に来れたからなのか、学生だったからなのか?

井上:僕が8月に初めてボランティアに行った時、沢山の人がいる中で僕だけ浮いていて、お母さんが「この子は違う」と言っていた。僕が東北人ということあったし、なまりがわかるとか、東北の感覚というものがあるのかもしれない。当時のボランティアには、変な話通訳が必要だった。若林区とかに行くと、農家のおじちゃんは何を話してるか分からないから、翻訳して東京の人に話すことをしていた。なぜか分からないけど、僕に声をかけてもらった。本当に僕から行ったのではなくて、向こうから「また来てほしい」と言われた。そして色々な活動のなかで信頼関係が出来ていったと思う。

 年末は年賀状作りをまたやった。年賀状の素材作りのために写真撮影会をやったが、震災の年は人を呼ぶことが出来なくて、せいぜいいちごの写真しか撮れなかった。しかしお母さんの想いとして、人が沢山来てもらったから、感謝の気持ちがわかる年賀状を作りたいとのことだった。今のネット中心の社会の中で、2011年の年賀状と違い、一言感謝の気持ちを一枚一枚に書いた。それで僕のインターンとしての仕事は一区切りした。

 そこで思ったのが、「僕がいなくなったら、この活動は厳しくなるのではないか」ということで、HARUのプロジェクトにしようと夏休みくらいから考えていた。僕じゃない人がこの活動をやってもいいし、4年になり進路も関わってくるところで、ずっと付き合えることが出来なくなるし、後輩に譲っていかなければならない。その中でプロジェクトの形にしておくと動きやすいのではないかと思った。そして正式に動いたのは冬ぐらいからだった。このような経緯でいちごプロジェクトが出来た。僕がいなくなっても、せめて半澤農園に関わる手段だけでも残しておきたかった。なかなか、個人が個人の農家に支援するというのは僕みたいな特殊な事例がないと出来ない事で、それに加えて自分がやってて楽しかったから他の人にもやってほしいと思った。

2013年5月28日火曜日

5月25日 いちごプロジェクト活動報告

こんにちは!

HARUいちごプロジェクトの山口です。

 大河原商業高校、亘理高校卒業生の方々らと一緒に半澤いちご農園で活動してきました。

今回の作業内容は、アイポット(いちごの苗のポット)への土入れ、ランナー取りでした。

2グループに分かれて、午前と午後で作業内容をチェンジする形での活動でした。

最後にいちご狩りをしました。
とてもおいしかったです(*^^*)

高校生たちはもりもりと食べてましたね 笑
これからも元気に活動を続けていきたいです!

※農園のブログも更新されているので、ごらんください
http://ameblo.jp/hanzawa15nouen/entry-11538297446.html


















5月19日 いちごプロジェクト活動報告


どうもこんにちは!
初めてボランティアに参加&ブログを書かせていただく、1年の高畑です☆
この日、山元町を訪れたHARUメンバーは3人!



そして、岩沼駅で宮城県立大河原商業高校「社会部」の生徒さん6人と合流。一緒に活動しました〜(^-^)



午前中は、育苗用のアイポットにひたすら土をいれまくりました。
早く入れるコツを模索しつつ…
ガールズ&ボーイズトークがはずみました♪


午後は、イチゴの株からびよーんと伸びてくるランナーというものを、ひたすら切る作業!!
みんな黙々と作業していました(^-^)


休憩時間には、真っ赤なイチゴを探していただいちゃいました♪
flesh☆でおいしかったです☆

ごちそうさまでした!


ちなみに、前回他のメンバーががんばった排水溝、、、
水がちゃんと流れていました(^-^)♪♪
仲間とやる農作業は、楽しかったです!早くもイチゴに愛着が湧きそうです〜☆

※農園のブログも更新されているのでご覧ください
http://ameblo.jp/hanzawa15nouen/entry-11534177994.html

 










 


 

【連載コラム】井上×小野寺対談 「2011年後期の活動」


・半澤農園の方との出会い

井上:812日に、一般ボランティアと一緒に山元町に行き、当時はボランティアセンターが機能していて(現在はやまもと復興応援センターと名前を変えて機能している)、仮設や農家の方のボランティア依頼を振り分けるシステムがあった。僕はたまたま半澤農園に振り分けられて、そこで単発の活動をした。当時、徳広さん(半澤農園6人兄妹のお一人、いちご農家)は京都に出稼ぎに行っていたのでお母さんが対応して、楽しく活動をしていた。その辺からいちご農園に携わっている、かれこれ110か月くらい。

 後期から学校が始まり、10月から半澤農園に専属でボランティアに入るようになる。当時は毎週月曜日に行っていた。

小野寺:それはまだHARUの活動ではない?

井上:そう。HARUでいちごプロジェクトをやろうと思ったのは2012年の夏休みを過ぎたあとから。そこは個人でやっていたし、ちゃんと特定の人と関係性を持ってやりたかった。そこで半澤農園の方に頼りにされたのはうれしかったが、反面期待にこたえられない所もあった。最初は農作業、10月は葉っぱを切ったりなど。

 

・学祭後の動き

井上:11月中旬からHARUがまだ細々をやっていることを聞き、学校の空いた時間に何かできたらと思い、ちゃんと入りなおしたのがいちごじゃなくて、図書館プロジェクトからだった。図書館は2週間に1回、放課後活動した。いちごも週1くらいでやっていて、年末の話になった。のべ1500人以上のボランティアが半澤農園に来ていたことから、名前や住所を書きためたノートを使って年賀状を書きたいとお母さんが言った。僕は、最初は無理だ、そんなことはできない、いちごの作業が回らないと反対した。だけど僕はパソコンが他の人よりは使えるから住所の打ち込みやレイアウトをやることにした。この年賀状作成をしたのが、農園の中で自分がやった初めての大きな仕事だった。これは自分でもよくやったと思う。1000人以上は名前を打ち込みした。

小野寺:期間はどれくらいかかったか?

井上:3~4週間かかった。週1回行って、一日6~7時間くらいやった。クリスマス前にはなんとか間に合った。年賀状が帰ってきたときはやっぱりうれしかった。

 

・半澤農園の農業法人化

井上:当時は震災後の経営の立て直しや販路拡大を目指し法人化をやっていた(「燦燦園」。山元町はGRAなど農業法人がいくつあるが、やってみようということになった。しかしなかなか資金繰りがうまくいかなくて、一番の問題は会計が全く別のところでやっていた。(省略)また個々の農家も気が強く、まとまらなかった。2012年の4月にはほぼ倒産状態に。登記も、資本金もやって、独自の販路を開拓しようとして震災を機に新しいことをやろうとしたけど、うまくいかなかった。その時に自分の中で貢献できなかった悔しさが強かった。「俺がもう少し会計的な知識があったら、ちゃんと、もう少し会社が回ったのに」という悔いがある。そこから勉強も頑張ろうと思うようになった。

 

2011年後期のHARU全体の活動について

井上:教育支援、菜の花、図書館プロジェクトの三本立て。今残っているのは教育支援だけ。教育支援はこれからどこで活動するか、探り探りの段階だった。菜の花プロジェクトは農学部と連携して、若林区の農業園芸センターに菜の花を植えていて、塩害を受けた農地に菜の花を植えて栽培・管理をした。2012年の6月末にアーケードで菜の花の写生・写真大会を開催してプロジェクトは終了した。塩分除去の効果は思ったよりなかったらしい。図書館プロジェクトは20128月を持って終了。

小野寺:HARUの活動はいくつかあって、継続性があるものと目標まで到達したら終了しるものに分かれるのか?

井上:ぐだぐだ続けるよりも、ある程度まで到達したらなくなるほうがいい。ただ、教育支援や農業については終わることがないと思う。これからやる足湯プロジェクトについても、あと5~6年したら仮設が無くなり、皆公営住宅に移ると思うけど、その中でも皆が集まれる集会所的なところはあった方がいいと思う。そういうところでプロジェクトが出来ていければいいと思う。個人の考えとしては全ての活動が無くなるのが理想で、現地の人主体で回るのが良い。特にもともと山元町は若手の人がいない土地だから、若い人が行くだけで喜ばれる。復興が完了したとしても何らかの形で関わることは大事。

2013年5月26日日曜日

【連載コラム】井上×小野寺対談 「震災~最初の夏休みまで」

こんにちは!

HARUの井上です。先日、メンバーの小野寺さんと対談形式でHARUのことやこれまで携わってきたボランティア、個人の思いなど話したので、今日からちょっとずつ公開していこうと思います

今日は「震災~最初の夏休みまで」です


HARUの活動について

HARUに入ったきっかけ

小野寺:HARUという団体に入って、どんな活動をしてきたか?個人でやってきたこと、団体でやってきたこと、両方を教えてほしい。

井上:(HARUの成立について)HARUは、震災直後の2011324日に、もともとは教授の先生が立ち上げ、復興メーリングリストという形でボランティアの学生を募る形で活動が始まった。当時はがれき撤去や、避難所の炊き出し支援、写真の洗浄作業、留学生のための通訳のボランティアがあった。僕は個人的には交通整理と呼ばれる活動で、山元町の中で規制がかかっている場所に、野次馬で入ってくる車を迂回させるボランティアを消防団の人と一緒にやっていた。あとは避難所の衛生環境調査なんかもやった。食べ物は衛生的か、手洗いをしているか、そんなことまでチェックをしていた。これが震災後のゴールデンウィークの活動である。

小野寺:そのような交通整理や、衛生環境調査などの詳しい活動内容は誰に依頼されてやったのか?

井上:直接、山元町に依頼されてやっていた。

小野寺:山元町への交通手段はどうしていたか?

井上:毎回大型バスにのって、40人前後を山元町に派遣していたのが当時のHARUの活動のかたち。3月末から春休みのあいだは毎日大学から出るバスで行っていた。今のHARUのメンバーで当時のことを知っているのは4人位しかいない。その時は僕は一人の参加者として居て、運営にまで関わるとは思っていなかった。

小野寺:最初は一メンバーとしていたということか?

井上:はい。当時の1000人を越えたメンバーのうちの1人であった。中心メンバーと話すことはあまりなかった。

小野寺:徐々に活動を増やし、メンバーの核として動くようになったのはいつごろからか?

井上:かなりの紆余曲折があった。

 

 
 
・学校が始まってからの活動(2011.5~
井上:学校が始まってからは、足しげく被災地に行くことが出来なくなってきた。午前中で学校が終わる日などは、宮城県第二総合運動場(長町のICの近く)に支援物資がいっぱいトラックで来る、それを各被災地に適切な分量を分配する活動をやっていたのが56月。その中で行けるときは週末に山元町に行って写真洗浄のボランティアをやっていた。7月中旬にHARUはいったん解散した。メンバーが膨れ上がり過ぎて、震災直後のとにかく人が欲しいという段階から、顔の見える範囲で活動できるようにしたいという段階になった。解散のあとは社会人のボランティア団体に参加していて、僕個人としては移動手段がなかったので社会人の方に乗せていってもらっていた。学外との関わりもその辺から増えていった。主に活動は山元町が多かったが、女川、若林区の辺りで住居の整理とか、畑のがれき拾いをやったりしていたのが78月の夏休み期間。
 
 

2013年5月12日日曜日

5/3 石巻スタディツアー

こんにちは!教育支援プロジェクトの後藤です。

5月3日 東北大学生向けの石巻スタディーツアーを行ないました!その報告です。
このツアーは 東北大学ボランティア支援室StartTohokuといっしょに企画し、
ゴールデンウィークボランティアツアーの一つとして行なわれました。


今年度東北大学に入学した新入生の他にも大学院生や教員が参加し、総勢約30人で
石巻をめぐりました。





仮設住宅では私たちがいつも教育支援プロジェクトとして活動している大橋団地仮設住宅の
集会所をお借りし、住民の方とお茶会をしました。
住民の方も大勢参加してくださり、お茶会はとってもにぎやかに行われました。





お昼ごはんは石巻市市役所内の「いしのま☆キッチン」でいただきました。
そこで働くお母さん方はみんなパワフルで、自慢の料理はホントに美味しかったです。




その後は石巻の商店街をめぐりました。
こどもの日が近かったため鯉のぼりがありました!

ゴールデンウィークということもありどのお店も繁盛しているようでした。








復興マルシェ、NEWSeeを見学し、
最後に、ふりかえりのワークショップ。
みんなで今日見学して知ったこと、感じたことを共有しました。




仙台に住んでいても、沿岸部や仮設住宅に行ったことのある大学生は少なく、
このツアーで多くのことを学び取ってくれたようです。
「震災3年目の石巻に必要なこと」についての議論。
このツアーに参加してただ満足してしまうのではなく、次のステップを踏むための
いい機会であって欲しいと思います。


いしのま☆キッチン
http://www.tohoku1000.jp/projects/detail/?id=93

東北大学ボランティア支援室
2013年ゴールデンウィークツアー 

東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。