2013年6月7日金曜日

【連載コラム】井上×小野寺対談 最終回「ボランティアに必要とされること」


⑤これからのボランティアに必要とされること

小野寺:「復興の踊り場」の段階では、ニーズが見つけにくいと言われており、被災地で動いているNPOの方でさえも分からないという話があるが、どう考えるか?これからのボランティアの活動は、肉体労働のようなものでなくなってくるか?

井上:これについては皆さんに聞きたいぐらい、今ボランティアで活動している皆の悩み。これはよく新入生に質問されるが、ニーズを今探っている段階だから、これから足湯プロジェクトをやろうとしている。一概に難しくて、ニーズは一人ひとり違う。「東北におけるニーズとは?」などと関東や関西の人によく聞かれるが、そんな大きすぎて分からない。半澤農園には半澤農園のニーズがあるし、仮設のおばあちゃんにはおばあちゃんのニーズがあるから、今までと違ってよりきめ細やかな対応が必要となってくる。震災直後は皆がご飯を食べたいとか、住む場所が欲しいとかのニーズだったけど、それが変わってきつつある。

 

・ボランティアの限界と、ボランティアにしかできない事

小野寺:今後のHARUの活動は、個々の人から依頼されて、それを学生に周知し、集めてボランティアをしていくという形になるのか?

井上:今は農園の方がこれをやってほしいと言ってくれるので、それをお手伝いしている状況。僕は震災ボランティアの基礎ゼミのアシスタントをしているが、そこで話したのはボランティアはやりたい側が居たとしても、スタートは支援を受ける側であって、柔軟に活動していくのが良いと思う。あとは解決策がまだ分からないことであるが、サロン活動などのボランティアが支援する場所に来れない人をいかにして助けていくかということがあり、今後の課題である。来れない人は絶対にいるし、集会所に来るひとは仮設のほんとに一部。引きこもってしまっている人のほうがずっと危ないが、そこの支援はもはや学生では出来ない。ボランティアの領域ではないし、専門の人がやることなのではないか。ボランティアの限界点はあるが、反対に行政や専門の人じゃないからできることがボランティアにはあって、公共政策では出来ないような個人的な支援が可能になる。

やはり一人ひとりが関係性を持つこと。「あそこの仮設のおばあちゃんに遊びに行って」とか、「あそこの農家さん」とか、「どこの誰」という認識を持つこと。よくボランティアの人は「被災地」という呼びをするが、「山元町」の農園や仮設住宅に行っているわけだし、「被災者」という人はほんとはいなくて、個々の名前がある。最初はだれのためにやっているのか分からないボランティアだったが、今は一緒にお茶を飲んだりして、分かっている状況。そのような関係性を皆が持てたら良い。

小野寺:ボランティアの中にも、個々の関係になると合う人と合わない人が出てくると思う。またボランティアをするにあたって不適格な人がいた場合、どうするか?

井上:見極める必要がある。全員にいわゆるボランティア活動が必要かといったらそれは

疑問、例えば半澤農園の隣の農家さんは、あんまりボランティアを入れたくない人で、素人にいちごを触らせたくないから、入れないという考え方。ボランティアといえばさぞ自分が良いことをやっているような感覚に陥るが、その感覚を捨て去らないといけないと考えている。だから外に出てこない人にボランティアをするのは押し付けにならないかという不安がある。出てこない人に支援が必要だという声もあるが、出てこないひとにはその人なりの考えがあり、堂々巡りの話になってしまう。公営住宅になったら空間が切り離されるから、この2年間で気づきあげてきた人とのつながりやコミュニティがなくなり孤独になった時のつらさというのが露骨に出てくるのではないか。阪神淡路の震災の時も、公営住宅になってから自殺者が増えたし、ただハコに入れればいいのではなくて、もっと考えてやらなくてはならないし、それは行政の仕事。これからのボランティアに携わる人に、一緒になって考えてほしい。

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東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。